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閃のうつし 髙畑紗依の情景

せん

鯖江 秀樹 | 評

 会場はやや鄙びた感のある街区で100年続く湯屋。日暮れ時、番頭の前をそそくさと通り抜け、昔ながらの瓶牛乳でくつろぐ客人を横目で見ながら、家屋の中二階のギャラリー「氵(さんずい)」に忍び込んだ。「ギャラリー」とは言うが、そこは居住スペースをリノベーションした六畳ほどの部屋。その風変わりな場所で、若手作家・髙畑紗依(1993年生)の個展「途中」(2021年6月4日~20日)を見た。

 「見た」と言うのは正しくないかもしれない。そこは、一見何もない、ガランとした空間。見世物めいたものは見当たらない。ギャラリーという場にあるべきもの、すなわち「作品」がない。作家が在廊していたのが幸いだった。もし誰もいなければ、ここに立ち寄ったとしても、数分でさえ居つづける自信はない。無論、被写体になりそうなものもない。

 いや、「何もない」と言うのも正しくない。たしかに「作品」とおぼしきモノはある。例えば北側に開いた窓辺。その縁にそっと置かれた黒い小皿には水が張られている。水面に僅かに接した細糸が上から垂らされている。この光景は、雨の日の水たまりに見えなくもない。 ただ、髙畑の作品にそれなりに馴染んできたわたしには、このオブジェが、個展の「メインディッシュ」だとは思えなかった。

 見るべきものが何もないはずはない――それを遮二無二求めるのは浅ましいが、会場でできることはそれだけだった。思えばこんなふうに、同一の場所で何もない壁や窓辺の風景を隈なく「凝視」したことなど、かつて一度もなかったかもしれない。すると…。

 あった! 壁に! 染みでないとすれば、塗りムラとも、偶然の映り込みとも思える複数の、数センチ大のいびつな円が。観る者の視線やその高低、あるいは外光の角度で見えたり見えなかったりする透明の丸いシールのようなものが

 

 

 正直に告白しておこう――わたしはそもそも、髙畑の作品を「良い」と思っていなかったし、その身を削るような制作姿勢に、心配を通り越して、恐ろしささえ感じていた、と。 

 彼女との出会いは2018年の初夏に遡る。学生たちを引率して展示を観たときだ。白亜の壁のところどころにいびつな線が集まったり離れたりしながら広がっている。当時大学院生だった作家に聞けば、元となる風景をカッティングシートに転写し、それを分解して一枚一枚貼ったのだという。

 「線景(Linescape)」と題されたこのシリーズはその後も、プロジェクターの映像や半透明素材のオブジェなど、形態をその都度変えつつ継続された。それは最後には、あたかも鑑賞それ自体を拒むかのように、ほとんど見えない、不可視の風景画に行き着いた。2020年秋の個展では、作品そのものから色彩が失われ、線たちはホワイトキューブの白壁とほぼ同化してしまうことになる

 もちろん、大学院修了作品展での褒賞(2019年2月)や、推薦による「京都新鋭選抜展」(2020年2月)への参加など、名誉に浴する機会もあったが、作品を見るたびにわたしが思い出していたのは、脚立によじ登り、時間に追われて小片を壁に貼る髙畑の姿だった。彼女に、心の中の意地悪なもうひとりのわたしはこう呟くのだ。

 あなたは何をしているの?/遠くから見れば、ただの白い壁にしか見えないのに。/ 「線景」って言うけど、全体は写真にだって写りっこない。/近寄ってみれば、ただの線の絡まり で、かたちでさえない。/制作するその格好は、延々同じことをやらされている単純労働   (labor)みたい。/アーティストっていうのは、時代を超えて、かたちや色で人を惹きつけ感動させる、人生より長持ちする作品(work)を作る人のことを言うの。/ましてや、展示が終わって、千切れた紙屑以外にあなたが手にするのは何?

(1)

 ところが。

 2021年から髙畑の作品(とその展示)は大きく変わる。壁全体に断片的なイメージを拡散させるやり方が、限定された小さな事物――杯、ノート、フィルム、トレーシングペーパーなど――を会場内に配置するという手法に切り替わる。ただ、だからといって作家の意図そのものが完全に塗り替えられてしまったわけではないようだ。「忘れ去られるようなささやかな」事物や風景を「人の記憶に留める」というコンセプトにおいても、失われてしまう(しまった)ことの「うつし」という、版画の本質にかかわる技法の点でも、一貫性は保たれている。

 とはいえ、このシフトチェンジは危険な賭けのように思われた。「線景」シリーズは、その途方もない骨折りの甲斐あって、オリジナリティのある表現ではあった。しかし、些細な事物を置くことを主とした近作のやり方では、競合相手があまりに多いと想定される。まして髙畑は、能弁でも知的なタイプの作家でもない。場の特性を綿密にリサーチする方法にも無頓着だ。それまで培ってきたセルフ・イメージを手離し、(わずかながらでも認知されてきた)断片を貼る地道な手法を離れることは、駆け出しの作家にとって大きな決断であったことは察しがつく。

 では、この強固な意志はいったい何に由来するのか。髙畑はいったい何をしようとしているのか。話をしてみた。

 彼女はそのとき、いくつかの興味深い逸話を聞かせてくれた。美術系高校に進学した彼女はもともとペインターだったこと、大学で版画に惹かれたのは、元絵(完成図)から、それを構成する複数の層に分解していくという(洋画ではありえない)制作工程がきっかけだったこと。なかでも印象的だったのは、引っ越しの話である。幼少時代を過ごした家が目の前で解体されていく様子に強いショックを受けるとともに、何かを残そうとする行動を起こせなかったことが苦い思い出になったという。その後移り住んだのは郊外のニュータウンで、その人工的な街並みのせいで迷子になったというエピソードも披露してくれた。 

 とすれば、「線景」も、新たに始まった、凝視を必須とする「情景」のシリーズ――さしあたりそう呼んでおこう――も、作家のプライヴェートな記憶に由来すると結論づけてよいだろうか。

 いや、何かが違う。 

 そう思えてしまう理由はふたつある。ひとつは、髙畑の語る家の「喪失」は、(精神分析のテーマにもなりうる面があるとはいえ)ありきたりの出来事と見なしてよいということだ。耐用年数が尽き、転居とともに住み慣れた家が破壊されることは、誰しもに起きうることであり、戦後を特徴づける地方のニュータウン計画を抱えた日本国内でむしろ頻発した類だと解することもできる。この経験は、髙畑に固有のものとは言えない。

 もうひとつの理由は、髙畑はみずからの作品を自覚した作家とは言い難い、という点にある。ただしこのこともまた、彼女に限ったことではない。アーティストは時に、「創造的主体」に位置づけられることがあるが、自己が無から明確な意図や意志をもって何かを生み出すという芸術家像はすでに神話にすぎない(先の意地悪なもうひとりのわたしの呟きは、この「近代の神話」に依拠していた)。アーティストは、おのれの心身の隅々まで自覚的に統御しているわけではない。中谷礼仁が日本家屋の納戸を介して説得するように、芸術作品とはいわば、「常ならざるものの客観化」なのである  。髙畑も例外ではない。制作について作者本人が十全な理解を常に得ているとは限らないのである。

 だからこそ、発想を逆転させてみてはどうだろうか。つまり、本人さえ自覚しない何かが、彼女の制作を後押ししているのではないのか、と。

 湯屋での鑑賞体験やインタビューでの言葉を思い起こしながら、この逆転についてしばらく考えつづけた――日が西に傾く頃に目撃したのは、「見える/見えない」の瀬戸際にある小さい斑点。それを髙畑は、実に丹念に作り上げたのだ。二面の壁を白く塗り直したあと、定められた一点にカッティングシートを貼り付ける。その上からさらにペンキを塗布すると、今度はそこに顔料の厚みが出てしまうので、ヤスリをかけて表面に光沢を与える。それだけではない。現場で最終調整として、プラモデル用のトップコートで小円を仕上げたというのである。視覚の臨界はかくのごとく、実験の積み重ねではじめて可能となった。そこまでのことをしたのは、この作品が極微の知覚を問題としていたからではないだろうか。髙畑が個展開催に合わせて発表したステイトメントでは、バスからの眺めがこう報告されている。

 晴れ間が差し込む日に、通りかかった駐車場のような場所のコンクリートの壁には小さな穴のようなものが空いている。もしくは鏡がとりつけてあって、こちら側か、壁の向こう側の緑、庭のようなものが光っているように見えた

これを読むと、個展の壁に出現した小円たちは、コンクリートの小さな穴の「再現像」だとひとまず解釈できるが、それは全く不十分である。小円は、バスからの通過する視線にとって、「穴」でもありかつ「鏡」でもある。さらにその内部には、「こちら」なのか「あちら」なのか判別しがたい、「緑(植物)」ないしは「庭」が映り込み、そのうえ「光っている」というのだ。知覚とはこのように、圧縮された時間のなかで同時に、その都度新たな相貌を垣間見させる。髙畑にとって重要なのは、変化し、あるいは変化したことさえも忘れ去られてしまう事物の新たな相貌への研ぎ澄まされた感覚なのではないだろうか。それは、主体的かつ自覚的に感じるものではない。咄嗟に、そう「感じられる」としか言いようのないものである。対してわたしが湯屋で目にしたのもまた、思わず「あった!」と叫び声を漏らしてしまう、「閃き」の経験であった。閃きに疎い通常の知覚を脱しないかぎり、それを経験する途は閉ざされてしまうだろう。

 かくして、髙畑の作品を通じて感得される経験は、驚くべきことにルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの芸術論に限りなく近づくことになる。小さな斑点は、無理やりそれを見定めようとする視線を逃れ、ただぼんやりと壁に、目に「漂い、浮かぶ」。宙ぶらりんの知覚。

ひらめ

(2)

 宙吊りとは力の弛みや減退ではなく知覚が点火しきらめき発光する状態のことを意味する〉は光を放つのだ     。

髙畑が版画家として写し取っているのは、たまゆら姿を見せてくれる〈これ〉、閃きの光なのではないだろうか。失われていくものも、忘れられるものも、それに付随していたはずの思い出もやりきれなさも、そして、ひらめき=ブレイクスルーの歓喜も、すべては、「うつし」を通して感知されるのを待望している。それが髙畑の新しい「情景」である。

(1)中谷礼仁『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』、インスクリプト、2020年、49頁。

(2)マリオ・ペルニオーラ『無機的なもののセックス・アピール』岡田温司、鯖江秀樹、蘆田裕史訳、平凡社、2012年、188-195頁、第25章「ヴィトゲンシュタインと「これ」の感覚」。

(本稿は、来年3月水声社より刊行される鯖江秀樹の著書(タイトル未定)に加筆のうえ再録される予定である)

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